痛ましい事件が起こった。1週間前の福岡の中2の少年の事件である。いじめによる自殺。私が学生だった頃もあったのかな?あったのかもしれない。でも報道されていなかったことだけかもしれない。この事件の概要は新聞やテレビでも連日のように報道されている。今回、心痛められるのは、教師も攻撃する側に回っていたという点である。「からかう」という行為に度が過ぎたのか、節度がなかったのか。「からかう」という行為もあいまいなもので「親しい」という感情から冗談交じりになることは教師と生徒の間に生じる行為かもしれない。実際にそういうことがあって、お互いが信頼関係をもっていれば、それは生徒と教師の良い関係の現われかもしれない。ただ、報道からだけ見ると、今回の教師と生徒には信頼関係があったようには思われないが・・・・
つらすぎて、悲しすぎて、怒りがこみ上げてきて、どうして、こんな風になってしまったのだろう、どうしてこんな事件が起こってしまったのだろうと考え込んでしまう。
なぜかといえば、それはやはり私が以前教員と言う立場にいたからだと思う。自分が教員だったとき、明らかにいじめと考えられる場面に何度か遭遇してきた。いじめに関してはいろいろな意見があると思う。いじめる方が悪い、いじめられる方も悪いという意見。いじめられていると一方が思えば、それはすでにいじめであるという意見。いじめに教員が関与することでさらにいじめが悪質化するという意見。どれも不正解とはいえない。ただ、どの意見もすべてに当てはまるというものではない。その子供によって、教員、家庭、友人、環境それぞれのケースがあるわけである。
こんなことがあった。
中傷をする生徒に指導した上で、自宅に電話して、親子でも話し合いをしてみてください、ということを話したときのことだった。
「その生徒(いじめられていた生徒)と同じクラスにならなければ、うちの子はこんなことしません」
その言葉を言われ、電話を切った後、私は自然と涙があふれてきた。親ってこんなものなのかなって。きっと、このお母さんは自分の子どもがいじめられた立場になったとき、相手の親にこんなこと言われたらどう思うのかなって。
いじめている側の母親が「誰がいじめているのかしら?ひどいことね!」と憤慨していることもあった。自分の子どものことをわかっていない。みていない。
今回の事件は最終的に何が原因で何が悪いというのは、当事者たちでなければわからないと思う。でも、きっと自分が関与していたかどうかは中学2年生にもなればわかっているはずである。だから欠席者も多くなるであろうし、先生も入院することになるんだと思う。
以前よく新聞に出ていた公共公告に「命を大切によりも、あなたが大切だとい言ってほしい」という内容のものがあったと思う。これにはハッとさせられた。そうだよね、一般的なことよりもなによりも自分のことを大切に思ってくれる人や、愛してくれる人がいてくれることがどれだけ心の支えになるかわからない。家族はきっとそう思っていたに違いない。中学生にもなったら、友人や異性にそういった存在があったらどれだけ心強いだろう。友達の存在がどれだけ心の支えになることかわからない。たくさんの敵がいても、だれか一人は私のことをわかってくれる、そういう友達がいたら救われるんだから。
息子と娘はどんな風に多感な時期を過ごしていくんだろう。親との距離、友達との距離、先生との距離、社会との距離、いろいろな距離を少しずつはかりながら、社会に適応していく準備の時期だ。心配することはたくさんたくさん。これから年を重ねるごとに、私の知らない彼女、彼の世界が広がっていく。すべてを共有することはできないし、ありえない。そうやって少しずつ自立の方法を覚えていくのだから。でもね、家族だからわかってあげられることもたくさんあるはず。
朝「いってらっしゃい」と声をかけ、帰宅時に「おかえり」と迎えてあげる。それだけで、子供の表情でわかることがいっぱいある。幸い、私は今、「いってらっしゃい」も「おかえり」も言ってあげられる立場である。育児の方法だって正解があるとも思えない。それでも大切なのは子供と向き合うこと、「あなたが大切だよ」って気持ちを伝えること。
明日も気持ちよく「いってらっしゃい」って言おう!
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