思いは届かず

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/osaka_moriguchi_murder/?1201131299

先日、心痛めた事件が起きた。どうか被害者の家族の皆さんが立ち直る日が一日も早く来るようにと思わずに、願わずにはいられなかった事件だった。

そして、昨晩、この母親がなくなったというニュースが流れた。脱力というか、いたたまれない気持ちになる。

多かれ少なかれ母親は乳房が張ってくるたびに悲しみがまたあふれてきただろうなって思う。考えるにしても思うにしても限られた時間のひとつひとつが頭の中や心の中にあふれていたことだろう。

いろいろな事件が起こっているけれど、今回の事件は、見ず知らずの他人だけど「どうか立ち直ってね」と手紙を書きたいと思えるような一件だった。あの犯人さえいなければ、今頃、少ない睡眠の中でも幸せを感じながら赤ちゃんとの時間を共有できただろうになと思う。丁度、はなちゃんがうまれた頃の写真を学校で使うからということでアルバムを見返していた。今みても、当時の記憶がよみがえってほほえましい気持ちになる。だからこそ、お母さんの悲痛な思いをくむことができるのかもしれない。そうはいっても本当の気持ちは当事者にしかわからないことだけど。

今は親子の冥福を祈り、また残された家族の幸せを願うばかりだ。

もう、こんなこと起こって欲しくない。

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怒ってます!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080117-00000053-mai-soci

ニュースをみて驚いたと同時に怒りがこみ上げてきた。お母さんになって2週間しかたっていない22歳の女性、どんな悲痛な気持ちでいるんだろう。家族はどれほど辛い心情だろう。推し量るほどに犯人に対する怒りがこみ上げてくる。

2週間だよ、2週間!退院して1週間だよ。きっと毎日のように写真やビデオをとっているころでしょう。考えれば考えるほど辛い気持ちになる。お母さん、悔しかっただろうな、辛かっただろうな、せつなかっただろうな。とにかく悲しく憤る事件だ。お母さん、お父さん、家族のみなさん、どうぞどうぞ悲しみの中から立ち直る日が来ることを願っています。どうぞどうぞ・・・。

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考えさせられました

先日起きた、アメリカの射殺事件のニュースからイスラエル人の講師の記事を読んだ。教室の入り口にたち、生徒たちには窓から逃げるように指示した76歳の講師はその後犯人に射殺されたという記事である。この記事で考えさせられたのは、76歳の講師はかつてナチスのユダヤ人大虐殺から生還した人間であるということである。ナチスのユダヤ人に対する不当な扱いはこれまでいろいろなところで本や記事、写真を見てきた。あの状況の中から生還できた人々というのは、「生」に対する意識が本当に強かった人々ではないかと思う。そういう人間が、今回のような事件に巻き込まれたことは悲しいし、それ以上に、60年近く前に、しがみついた「生」を他人のために投げ打ったという事実が衝撃的だと思った。投げ打ったのではない、それこそ生かしたのだろうか。彼の行動が詳らかに報道されているのではないが、いろいろなことを考えさせられた。

ちょっと深刻な気分になってしまったけれど、昨日からどうも体調がおかしい。いつもなら12時くらいに就寝するのだが、10時半くらいから、もうまぶたが重いし、昼間もなんとなくだるい感じだった。今日も倦怠感がぬけず、たっくんはpapaに送ってもらった。ついでに幼稚園のPTA総会もお休み。明日はパン教室なんだけどなあ・・・。

P1000443 昨日の献立

焼鮭 にんじんのナムル なすとしめじの味噌いため なめこ汁 ごはん

なすの味噌いためは見た目の色で食べようとしない子供たち。「みかけで判断してはいけないよ」と声をかけて、食べさせた。味はお好みの味らしく、それからは少しずつ食べていた。なすはかわいそうだよね、色でたべてもらえないなんてさ!私とpapaはなすが好きだから、もっと食卓に登場させたいんだけど・・・。

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一考

痛ましい事件が起こった。1週間前の福岡の中2の少年の事件である。いじめによる自殺。私が学生だった頃もあったのかな?あったのかもしれない。でも報道されていなかったことだけかもしれない。この事件の概要は新聞やテレビでも連日のように報道されている。今回、心痛められるのは、教師も攻撃する側に回っていたという点である。「からかう」という行為に度が過ぎたのか、節度がなかったのか。「からかう」という行為もあいまいなもので「親しい」という感情から冗談交じりになることは教師と生徒の間に生じる行為かもしれない。実際にそういうことがあって、お互いが信頼関係をもっていれば、それは生徒と教師の良い関係の現われかもしれない。ただ、報道からだけ見ると、今回の教師と生徒には信頼関係があったようには思われないが・・・・

つらすぎて、悲しすぎて、怒りがこみ上げてきて、どうして、こんな風になってしまったのだろう、どうしてこんな事件が起こってしまったのだろうと考え込んでしまう。

なぜかといえば、それはやはり私が以前教員と言う立場にいたからだと思う。自分が教員だったとき、明らかにいじめと考えられる場面に何度か遭遇してきた。いじめに関してはいろいろな意見があると思う。いじめる方が悪い、いじめられる方も悪いという意見。いじめられていると一方が思えば、それはすでにいじめであるという意見。いじめに教員が関与することでさらにいじめが悪質化するという意見。どれも不正解とはいえない。ただ、どの意見もすべてに当てはまるというものではない。その子供によって、教員、家庭、友人、環境それぞれのケースがあるわけである。

こんなことがあった。

中傷をする生徒に指導した上で、自宅に電話して、親子でも話し合いをしてみてください、ということを話したときのことだった。

「その生徒(いじめられていた生徒)と同じクラスにならなければ、うちの子はこんなことしません」

その言葉を言われ、電話を切った後、私は自然と涙があふれてきた。親ってこんなものなのかなって。きっと、このお母さんは自分の子どもがいじめられた立場になったとき、相手の親にこんなこと言われたらどう思うのかなって。

いじめている側の母親が「誰がいじめているのかしら?ひどいことね!」と憤慨していることもあった。自分の子どものことをわかっていない。みていない。

今回の事件は最終的に何が原因で何が悪いというのは、当事者たちでなければわからないと思う。でも、きっと自分が関与していたかどうかは中学2年生にもなればわかっているはずである。だから欠席者も多くなるであろうし、先生も入院することになるんだと思う。

以前よく新聞に出ていた公共公告に「命を大切によりも、あなたが大切だとい言ってほしい」という内容のものがあったと思う。これにはハッとさせられた。そうだよね、一般的なことよりもなによりも自分のことを大切に思ってくれる人や、愛してくれる人がいてくれることがどれだけ心の支えになるかわからない。家族はきっとそう思っていたに違いない。中学生にもなったら、友人や異性にそういった存在があったらどれだけ心強いだろう。友達の存在がどれだけ心の支えになることかわからない。たくさんの敵がいても、だれか一人は私のことをわかってくれる、そういう友達がいたら救われるんだから。

息子と娘はどんな風に多感な時期を過ごしていくんだろう。親との距離、友達との距離、先生との距離、社会との距離、いろいろな距離を少しずつはかりながら、社会に適応していく準備の時期だ。心配することはたくさんたくさん。これから年を重ねるごとに、私の知らない彼女、彼の世界が広がっていく。すべてを共有することはできないし、ありえない。そうやって少しずつ自立の方法を覚えていくのだから。でもね、家族だからわかってあげられることもたくさんあるはず。

朝「いってらっしゃい」と声をかけ、帰宅時に「おかえり」と迎えてあげる。それだけで、子供の表情でわかることがいっぱいある。幸い、私は今、「いってらっしゃい」も「おかえり」も言ってあげられる立場である。育児の方法だって正解があるとも思えない。それでも大切なのは子供と向き合うこと、「あなたが大切だよ」って気持ちを伝えること。

明日も気持ちよく「いってらっしゃい」って言おう!

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